私が思う 今日と明日
― まどろみで思うこと 明日へ向かう私の決意 ―
あの時音楽の妖精から送られたのは
金色の絆と偽りのメロディ
止むことを知らぬ雨のように
罪悪感と共に降り注ぐその音は
私の中で色褪せることなく 重く響き続ける
そう
あれは私の心を今もなお縛り続ける
人を魅了した魔法の音だった
「いやだな、またあの夢だ…」
何かに追われるように目を覚ました。
まるで夢の続きを見ているようで、心臓が早鐘のようにうるさい。
目覚めたことを確認するために、一度静かにまぶたを閉じ、ゆっくりと開けた。
薄く開いたカーテンの隙間から外を覗けば、
9月だというのに夏の名残りを感じさせるまぶしい青空が広がっていた。
眩しさに手のひらで目を覆うと、知らずぬれていた枕に気づき深くため息をついた。
「もう、5年も前のことなのに、私ってば成長してないなぁ…」
誰に言うともなく乾いた笑いをこぼし、ごまかそうとして失敗したように眉を寄せた。
「違う…。どれだけ時間が過ぎたって、みんなに嘘をつき続けてることに変わりはないじゃない…」
それなのに、時が過ぎたからもうあの日の罪から開放されてもいい、だなんて。
なんて勝手な言い草だろう。
音楽と真剣に向き合って、何よりも音楽を愛している人たちと、
何も知らずに言われるがまま一緒に舞台に立っていた私。
妖精からもらった楽譜で、魔法で出来た道具を使って、嘘の音楽を奏で続けてきた。
まるで自分の力であの美しい旋律を奏でられているかのように、錯覚まで起こして。
そして、そんな私の驕りを見抜いていたかのように、あっけなく泡沫の夢は終わりを告げたのだ。
やさしい魔法の時間の終わりは、重くのしかかる現実の始まり。
後に残ったのは、鳴らない楽器と突き刺さる人々の視線。
人を欺き続けた罪悪感と、真実を告げることなど許されぬ日々の中、
あの日から贖罪のような気持ちで、ただひたすらにヴァイオリンを弾き続けてきた。
すべてを投げ捨てて、普通の高校生としてやり直したいと何度も思った。
音楽になんて関わらなければよかった、と。
あの日、リリにあんなヴァイオリンさえ渡されていなければなんて。
都合よくすべてを誰かのせいにして、自分は悪くないとそう叫んで逃げ出したかった。
でも、きっとそんなことは許されないのだ。
あの日の仮初の音を真実にすることだけが、唯一嘘をついてしまった人々へ私が出来る全てだと思った。
楽器を持って人前にたち、引き手として聞く人に一瞬でも夢を見せた自身の責任であると、そう言い聞かせて。
言い訳はしないと、弦の切れたヴァイオリンを抱いてあの日決めたのだから。
魔法のヴァイオリンに引けをとらない本物の演奏を出来るようになると。
そして、それまで決して人前で披露はしないと、ひとつの誓いを立てて。
そんな私をリリはひどく泣きそうな顔をして見つめていたけれど、これは私が決めたことだから。
「コンクール…ですか?」
「ええ、そう。25歳までの若いヴァイオリニストを対象にしたものでね。
今年で確か25回目になるかしら。結構歴史のあるコンクールなの。」
世話になっていた大学時代の恩師に連絡を受けて、指定された喫茶店を訪れると一枚のチラシを見せられた。
「スターティング・ストリングス」と大きく書かれたそれは、
その名の通り若手の新人ヴァイオリニストを対象にしたコンクールであるらしい。
チラシの中央に書かれたコンクール出身者の一覧には、錚々たる名前が並んでいた。
それを見ながら、苦しそうにため息をついた。
「先生…あの私、以前にもお話したと思うのですが…」
「『自分の満足のいく演奏が出来るようになるまで、コンクールのような人前で演奏する場には出たくない』…でしょ?」
まさに今言おうとしていた言葉を、先に言われてしまいぐっと言葉に詰まり、小さく「そうです」と続けた。
「そんな話耳にタコができるくらい聞いたわよ!聞き飽きたわ!」と大げさに空を仰ぐ恩師に、困ったように眉を寄せる。
そんな私を見て、先生は「変わらないわね」と笑った。
「十分わかってるわ。わかっているからこそ、勧めてるのよ」
言っている意味がわからず首をかしげると、今度は呆れたと言わんばかりに盛大なため息をついた。
「あなたはもう十分待ったわ。そして、もうあなたにはそれを成せるだけの力が備わってる。」
気付いていないのはあなただけよ、そう付け加えて飲みかけの紅茶を一気に飲み干す。
話は終わりだと告げるように、テーブルに届いていた伝票に手を伸ばし立ち上がった。
「懺悔の時間は終わりよ。あなたの音楽を始めなさい。」
申し込みしておくから、とそう言い残してさっさと会計を済ませて行ってしまう。
テーブルに残されたままの香穂子はしばらくボーっとしていたが、
やがて置き去りにされたチラシに視線を移し、釘付けになる。
「私の音楽を…」
恐る恐る、それを手に取ると先ほどの言葉を繰り返す。
いいのだろうか、ここに立っても。
コンクールという場で私の音楽を奏でても。
静かに目を閉じれば、忘れられない歓声と景色が鮮やかに蘇って、どうしようもなく胸が震えた。
忘れようとしても忘れられなかった、あの風景を。感動を。
偽りの音で得たものだとしても、手放すことなど出来なかったあの思い出に、もう一度手を伸ばしてもいいのだろうか。
そっとチラシを胸に抱き、遠い記憶の歓声と拍手に思いを馳せれば涙があふれた。
そんな様子を店の外から盗み見ていた師は、安心したようにほっと胸をなでおろすと、気付かれぬようにそっとその場を後にした。
戻ることは許されない。
進むべき道は、前にしかないのだから。
あの日から止まったままの私の時間を、明日へ向けて動かすことを決めたのだから。