ありがとう
「今日は少しだけ、自惚れてもいいかな」
触れた頬からから伝わる暖かい体温が気持ちよくて、まどろみの中をふわふわと意識が漂う。ゆるくやわらかく、髪がとかれる感触が心地よい。
どんな楽器の音色より澄んでいて、寒い冬の夜空を瞬く星の明かりみたいにきらきらしてる君の声が、
ささやくように僕の名前を呼ぶのが聞こえる。
ああ、二人で映画を見ている途中でいつの間にか眠ってしまっていたんだ。
せっかく香穂さんが僕の誕生日を祝ってくれているというのに、なんて勿体ないことを。
早く起きなくては・・・、そう思うのにこの甘い眠りを手放しがたくて瞳をあけることが出来ない。
誕生日だし今日だけは少し甘えさせてね、と心の中で小さく君にわびる僕に、思いがけない君の言葉が不意に耳を掠めた。
「ありがとう」
ぼんやりとまとわり付いていた眠気が一気に引いていく。
覚醒した意識の中でもう一度、先程聞こえた言葉を反芻して、はっきりとした声で告げる。
「それは僕のセリフ、でしょ?」
僕の髪を梳いていた指が、一瞬ぴくりと震えて止まる。
君の息を呑む気配を感じて、口元に笑みを浮かべて覗き込むように顔を傾けると、顔を真っ赤にして驚いた君と目があう。
「ど・・・どうして、起きて・・・・」
パクパクと口を動かしながら、ようやくそれだけを言葉にした君の驚きようにクスリと笑いながら、いたずら心が生まれて「さあ、いつだったかな?」なんておどけて返す。
「ねえ、香穂さん。どうして『おめでとう』じゃなくて『ありがとう』なの?」
自分の発した言葉を聞かれていないと思っていた相手に繰り返されて、恥ずかしさに赤い顔をさらに赤く染めた君が、ぐっと黙りこみ気まずそうに視線をそらす。
思わず引きかけた僕の髪をなでていた手をとって、逃げようとする君を捕まえる。
「ええっと・・・・・これはその・・・たいしたことじゃないって言うか・・・」
目を泳がせながら、なんとかごまかそうとしている往生際の悪い君に追い討ちをかけるように、繋いでいた手を引いて抱きしめる。
君の小さな悲鳴を無視して、髪に顔をうずめたまま少しだけ声のトーンを低くしてささやく。
「ごまかしてもダメだよ。教えてくれるまで離してあげない。」
ねえ、もう一度ちゃんと聞かせてよ。
僕はいつだって君に出会えたことを神様に感謝してるんだ。
君の音に触れるたびに、君の声を聞くたびに、君に笑顔を向けられるたびに。
ああ、今日も君に会えたって。
何度も何度も、数え切れないくらい「ありがとう」を繰り返して。
君から与えられるものに比べたら、僕が君にしてあげられることなんて本当に僅かだ。
そう思っていたけれど。
もしも君が「ありがとう」という言葉を、この日にくれるというのなら。
今日は少しだけ、自惚れてもいいかな。
僕たちは互いに支えあっていると。
与えるばかりでなく与えあえていると、そう信じていいんだよね。